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名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)470号 判決 1976年11月30日

原告

岡野鉉吉

右訴訟代理人弁護士

伊藤静男

外四名

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人弁護士

森本寛美

外四名

主文

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告は原告に対し金一〇、二〇〇円及び内金二〇〇円に対する昭和四八年二月九日から、内金一〇、〇〇〇円に対する昭和四八年二月一四日から、完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び第一項つき仮執行の宣言を求める。

二、被告

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

仮に仮執行の宣言を付した原告勝訴の判決がなされる場合は、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

第二  当事者の主張

一、原告の請求原因

1  原告は、昭和四八年二月八日午前九時二五分頃、被告の経営する日本国有鉄道飯田線駒ケ根駅(以下「駒ケ根駅」という。)において、駒ケ根・名古屋(豊橋経由)駅間の普通乗車券及び駒ケ根駅から二〇〇キロメートルまでの区間効力を有する普通急行券(料金二〇〇円)を購入し、同日午前九時三七分頃に駒ケ根駅に到着した普通急行列車伊那二号(以下「伊那二号」という。)に駒ケ根駅から同線豊橋駅まで乗車した。

そして、被告が公表している列車運行時刻表によれば、伊那二号の通常の運行時刻は、駒ケ根駅午前九時二七分発、豊橋駅午後一時一九分着とされているところ、原告の乗車した伊那二号は、約一時間四〇分遅延して、同日午後二時五八分に豊橋駅に到着した。

2  この場合、原、被告間には伊那二号による旅客運送契約がなされたことになり、被告は原告に対して運行時刻表どおりに伊那二号を運行して所定の所要時間内に原告を豊橋駅まで運送すべき債務を負担していたものであるところ、伊那二号は前記のとおり約一時間四〇分延着したのであるから、被告は右債務の本旨に従つた履行をなさなかつたものというべきである。

そして、普通列車による駒ケ根・豊橋駅間の平均所要時間は五時間二〇分であるから、伊那二号はこれ以上の時間を要したことになり、急行列車としての実質を有しなかつたものである。普通急行券の代金である急行料金(金二〇〇円)は、急行列車により普通列車より早く目的地に到達することができる時間的利益を定型的に金銭化したものであるから、原告は被告の右債務不履行により少なくとも右急行料金相当額である金二〇〇円の損害を被つたものというべきであり、被告は原告に対して同額の賠償をなすべき義務がある。

3  原告が乗車した伊那二号が前記のとおり延着したのは、被告及びその被用者の故意による違法行為に起因するものである。すなわち、被告の被用者で組織されている国鉄労働組合(以下「国労」という。)及び国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)は、昭和四八年二月八日から一〇日までの間違法に同盟罷業及び怠業を計画、実施し、その一環として、原告が乗車した伊那二号の機関士その他の被告の被用者らは故意に右列車の運行を遅延させたものである。そして、国労及び動労の右争議行為は、表告及び右労働組合が二時間以上の急行列車の延着は避けて、急行料金の払い戻しを免れるためのダイヤ操作をなし、いわば「国鉄一家」のなれ合いの下に実施されたものである。

従つて、被告は原告に対し、民法第七〇九条及び第七一五条第一項により、被告及びその被用者の右不法行為によつて被つた前記損害の賠償をなすべき義務がある。

4  原告が昭和四八年二月八日午前九時二五分頃駒ケ根駅において前記乗車券及び急行券を購入した当時、同駅に勤務していた被告の被用者らは、伊那二号の運行が前記争議行為により著しく遅延し、急行列車としての実質を有しなくなることを確実に予想しえたのであるから、このような場合には、その旨を伊那二号を利用しようとする者に告知すべき信義則上の義務を負うものであるところ、その旨の場内放送等は全く行われなかつたし、駒ケ根駅の乗車券発売口において勤務していた被告の被用者は、原告が右乗車券等を購入しようとした際、原告に対して故意に右事情を秘し、又は重大な過失によりこれを告知しなかつた。その結果、原告は伊那二号が定刻どおり運行されるものと考えて、同列車に乗車すべく普通急行券を購入し、前記のとおり損害を被つたものであるから、被告は原告に対し、民法第七一五条第一項により、被告の被用者の右不法行為によつて原告が被つた右損害の賠償をなすべき義務がある。

5  前記のとおり、原、被告間に伊那二号による旅客運送契約がなされ、被告は原告に対して定刻どおり伊那二号を運行して所定の所要時間内に原告を豊橋駅まで運送すべき債務を負担していたものであるところ、原告の乗車した伊那二号は約一時間四〇分延着して、急行列車としての実質を有しなくなつたものである。

このような場合において、原告が支払つた急行料金(金二〇〇円)を被告がそのまま保有することは被告の不当な利得であり、被告は原告に対し、民法第七〇三条によりこれを返還すべき義務がある。

6  原告は、本訴の提起追行を弁護士である本件原告訴訟代理人伊藤静男に委任し、昭和四八年二月一四日、弁護士費用として金一〇、〇〇〇円を支払つた。そして、原告の右出損は被告の前記債務不履行及び被告又はその被用者の前記不法行為により原告が被つた損害というべきものであるから、被告は原告に対し同額の賠償をなすべき義務がある。

7  そこで、被告に対し、請求の趣旨のとおり、債務不履行若しくは不法行為による損害賠償金又は不当利得返還金として急行料金相当額の金二〇〇円及びこれに対する右事実発生の日の翌日である昭和四八年二月九日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金並びに債務不履行又は不法行為による損害賠償金として弁護士費用相当額の金一〇、〇〇〇円及びこれに対する右弁護士費用出捐の日である昭和四八年二月一四日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二、請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1のうち、伊那二号が昭和四八年二月八日午前九時三七分に駒ケ根駅に到着したとの事実を否認し、その余の事実を認める。伊那二号は駒ケ根駅に既に四三分遅延して到着し、同駅を同日午前一〇時一〇分三〇秒に発車したものである。

2  請求原因2の主張を争う。

先ず、原、被告間には、伊那二号という特定の急行列車による旅客運送契約がなされたものではない。すなわち、原、被告間の本件旅客運送契約上の法律関係については、被告の定めた普通取引約款である「旅客及び荷物営業規則」(昭和三三年九月二四日日本国有鉄道公示第三二五号、以下「営業規則」という。)が適用されるものであるところ、同規則第一七二条第三項によれば、(普通)「急行券を所持する旅客は、その発売の日(有効期間の開始日を指定して発売したものにあつては、有効期間の開始日)から二日以内の一個の急行列車に、一回に限つて、又券面に区間又はキロ程が表示されているときは、当該区間又はキロ程まで乗車することができる。」とされており、原、被告間の契約内容は、原告が急行券発売の日である昭和四八年二月八日から二日以内に駒ケ根駅から二〇〇キロメートル以内の駅区間を一回限り原告の任意に選択した普通急行列車に乗車できる旨の運送契約にすぎない。そして、急行料金は、運送の対価である運賃とは異なり、寝台料金等と同様に、目的地へより早く到達することができるということのほか、車両設備が良好であること、停車駅が少ないこと、他列車への接続に便宜が図られていること等の要素を備えた急行列車という列車あるいは車両設備を利用することの対価にほかならず、利用者は急行券を所持することにより急行列車への乗車制限が解除されるにすぎないのである。そのうえ、運行時刻表に掲示されている各列車の運行時刻は被告が列車を運行する場合の通常の標準運行時刻、いわば運転目標時刻にほかならないのであつて、被告が所定の運行時刻どおりに運送することが旅客運送契約上の債務の内容となるものではない。

従つて、原告は伊那二号という普通急行列車を自ら選択してこれを利用し、目的地に到達しているのであるから、被告には旅客運送契約上の債務不履行はなく、それによる原告の損害なるものもありえない。

3  請求原因3のうち、国労及び動労が昭和四八年二月八日から一〇日までの間違法に同盟罷業及び怠業を計画、実施し、これによつて被告の運行する列車ダイヤが全国的に混乱したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  請求原因4の事実を否認する。被告の被用者である駒ケ根駅運輸掛市川秀雄及び倉田藤雄は昭和四八年二月八日午前九時八分頃から同一〇時九分頃までの間同駅の放送設備を使用して一般旅客に対し伊那二号の遅延状況を案内していたし、同駅の乗車発売売口において勤務していた同駅運輸掛塩原岩吉は一般旅客に乗車券類を発売するにあたり伊那二号の遅延状況を告げていたものである。

5  請求原因5及び6の主張を争う。

三、被告の抗弁

1  原、被告間の本件旅客運送契約は被告の定めた普通取引約款である前記営業規則に基づいてなされたものであり、原、被告間の右運送契約上の権利義務関係については営業規則の定めるところが民、商法等の規定に優先して適用されるものであるところ、営業規則第二八九条第二項は、急行列車が所定の運行時刻に延着した場合の取扱いについて、所定の到着時刻に二時間以上遅延したときに限り急行料金の払い戻しを行うこととしている。

右規定は、急行列車が二時間以上延着した場合においては、その原因の如何を問わず一律に急行料金を払い戻すこととする反面において、急行列車の延着が二時間未満の場合においては、被告が債務不履行又は不法行為による責任を負うことがない旨の、いわゆる免責約款の趣旨をも包含するものである。そして、右免責約款は急行列車の延着の原因が被告又はその被用者の故意又は過失行為に存する場合においても適用されるのであつて、仮に伊那二号が延着した原因が国労及び動労の計画、実施した違法な争議行為にあり、あるいは伊那二号に乗務していた機関士らが故意に右列車を遅延させたものであるとしても、被告はこれによつて債務不履行又は不法行為による損害賠償義務を負うものではない。

2  仮に本件には前項の免責約款が適用されないとしても、原告が乗車した伊那二号が延着したのは国労及び動労が計画した違法な争議行為の影響によるものであり、被告にはその責に帰すべき事由がないので、債務不履行による責任を負わない。

すなわち、国労及び動労は、昭和四八年二月八日午前零時から同年二月一〇日にわたり、「スト権奪還闘争」と称して全国的に違法な同盟罷業及び怠業を計画、実施し、全国的に列車ダイヤを混乱させた。これに対して、被告は、その職員に対して違法な争議行為に参加することがないよう警告し、国労及び動労に対してその中止を申入れたほか、旅客・貨物列車の運行確保に全力を尽したところであるが、なお列車ダイヤの混乱は避けられず、その影響により原告の乗車した伊那二号の運行も遅延したものである。

このように、労働者の争議行為の結果、債務者が債務を履行しえなかつた場合においては、一般に右争議行為は債務者側の事情に属しない外部的事象であるというべきであり、また、使用者は労働者の要求に屈服してまで第三者に対する債務の履行を強要されることのない立場を保障されているものと解すべきであるから、右債務不履行は債務者の責に帰すべき事由に基づくものではないというべきである。そして、本件争議行為はスト権奪還という政治的目的をもつて行われたものであつて、被告において、法律上及び事実上処理しえない事項に関するものであるから、被告はもとより一層債務不履行の発生を防止しうる立場になかつたものである。

3  さらに、右争議行為を計画、実施した被告の被用者らと被告との間には、履行補助者の故意・過失による債務不履行責任又は使用者責任の実質的な基盤である指揮命令・監督関係が存在しないから、被告は右争議行為の結果による債務不履行責任又は使用者責任を負わない。すなわち、争議行為の過程においては、労働組合員は使用者の指揮命令・監督関係から離脱し、労働組合の決定するところに従つて独自の行動をなすものであるから、そこには使用者の履行補助者又は被用者といいうるための実質的な基盤である指揮命令・監督関係は存在せず、使用者はその争議行為の結果について責任を負うことはないものというべきである。

4  被告は、前記のとおり、国労及び動労の右争議行為を回避するために、なしうるすべての方策を講じたのであるから、事業の監督につき相当の注意を払つたものであり、使用者責任を免れるものというべきである。

四、抗弁に対する原告の答弁

1  抗弁1の主張を争う。

営業規則第二八九条第二項の規定は、本件におけるごとく、被告又はその被用者の故意かつ違法の行為の結果急行列車が延着した場合にまで適用されるものではない。商法第七三九条の規定は、免責約款一般に関する普遍的な規定であると解すべきであり、ひとり海上物品運送契約のみならず、運送契約全般に適用されるものである。

仮に右営業規則の規定が本件のような場合にも免責を認める趣旨であるとすれば、右規定は民法第九〇条に違反して無効であるといわねばならない。

2  抗弁2の主張を争う。

被告の主張は、使用者が労働者に対して有する自由なる交渉権を第三者との法律関係にまで及ぼそうとするもので、私法・労働法体系の基本を無視するものである。

3  抗弁3及び4の主張を争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1の事実のうち、原告が乗車した伊那二号の駒ケ根駅着発時刻を除くその余の事実はすべて当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、既にその始発駅である飯田線辰野駅を一八分遅延して昭和四八年二月八日午前九時二分三〇秒に発車した伊那二号は四三分遅延して同一〇時九分三〇秒に駒ケ根駅に到着し、一分後後に同駅を発車したものであることが認められる。右認定に反する原告本人の尋問の結果は採用の限りではない。

右によれば、原告は、結局、駒ケ根駅を四三分遅延して発車した伊那二号に乗車し、同列車の運行時刻表によれば駒ケ根・豊橋駅間の所要時間は三時間五二分とされているところ、四時間四七分三〇秒を要して豊橋駅に到着したものである。

二そこで、右乗車券及び急行券の発売・購入に伴う原、被告間の旅客運送契約の性質と内容についてみるに、<証拠>によれば、被告はその旅客及び荷物の運送並びにこれに附帯する事業について、いわゆる普通取引契約款たる性質を有する「旅客及び荷物営業規則」(昭和三三年九月二四日日本国有鉄道公示第三二五号、以下「営業規則」という。昭和四九年九月一二日日本国有鉄道公示一六七号により「旅客営業規則」と改称される以前のもの。)を定めてその取扱いを定め、被告とその多数旅客との間における旅客運送契約上の権利義務関係についてはこれによつて処理していたことが認められる。

従つて、被告とその旅客との間に運送契約が締結された場合には、右営業規則は、旅客においてその存在・内容等を知らなかつた場合においても、これを排除する旨の特約がなされない限り、当然に運送契約の内容となり、当事者を拘束するものであると解すべきところ、原告はそのような特約がなされたことの主張・立証をしないのであるから、右営業規則の条項は、原、被告間の本件運送契約の契約内容を構成するものである。

そして、営業規則第一三条(前記乙第一号証、以下営業規則の各条項については、いずれも同号証によつてこれを認めることができる。)によれば、急行列車に乗車しようとする者は原則として乗車券と急行券を所持しなければならず、同第一七二条第三項によれば、普通急行券を所持する旅客は、その発売の日から二日以内の一個の急行列車に、一回に限つて、又券面に区間又はキロ程が表示されているときは、当該区間又はキロ程まで乗車することができるものとされていることは被告主張のとおりであり、急行料金が、運送の対価である運賃とは異なって、急行列車という車両又は車両設備を利用することの対価にほかならないことは国有鉄道運賃法第六条の規定に徴しても明らかである。

従つて、乗車券等の発売・購入時(営業規則第五条によれば、運送契約の成立時期は乗車券等の発売・購入時とされる。)における原、被告間の契約内容は原告が昭和四八年二月八日から二日以内に駒ケ根駅から二〇〇キロメートル以内の駅区間を一回限り原告の選択した普通急行列車に乗車することができる旨の不確定な要素を持つ運送契約にすぎないことは被告主張のとおりであるけれども、原告がこれに基づいて伊那二号を選択し、これに乗車した段階においては、これによつて右運送契約の内容は確定され、被告は原告に対してその設定・公表した運行時刻表どおりに伊那二号を運行すべき債務を負担するに至るものというべきである。

被告は運行時刻表に掲示されている各列車の運行時刻はいわば運転目標時刻にほかならず、所定の運行時刻どおり旅客を運送することは運送契約の内容、運送条件ではない旨を主張するけれども、今日の鉄道輸送が持つ社会的な機能に鑑みると、列車の運行時刻や駅間の所要時間は、運賃等と並んで、旅客運送契約の重要な要素をなすものと解するのが相当であつて、これを運送条件に属しないものとすることはできない。もとより分秒を違えず列車を運行させることは技術的にも不可能であり、そこまでが契約内容となるとすることはできないにしても、運送人がその責に帰すべき事由により一般に容認すべき相当な限度を越えて列車を延着させた場合には、運送契約上の債務不履行を構成するものというべきである。

鉄道運輸規程第四条が鉄道は各停車場には旅客列車の時刻表を備え付けるべき旨を定め、同第八条が鉄道は各停車場には旅客列車の出発時刻表の摘要を、主要な停車場には同到着時刻表の摘要を、それぞれ掲示すべきものとし、また、同第一八条が列車が延着した一定の場合においては旅客の無賃送還をなすべき旨を定め、被告の定めた営業規則第二八二条以下においても列車が運行不能となり、又は延着した一定の場合について、運賃等の払い戻し、旅客の無賃送還、他経路乗車等を請求しうる旨を定めているのは、いずれも運送人が運行時刻表のとおりに列車を運行することが運送条件であることを前提としたものである。

従つて、被告には運行時刻表のとおりに列車を運行するべき債務はなく、原告が伊那二号という普通急行列車を選択して同列車を利用し、目的地に到達しているもめである以上、それが運行時刻表のとおり運行されなかつたとしても、被告には債務不履行はなく、それによる原告の損害もありえないとする被告の主張は採用することができない。

三そこで、次に、原告が乗車した伊那二号が延着したこと自体による被告の債務不履行若しくは不法行為による損害賠償債務(請求原因2及び3)又は不当利得の返還義務(請求原因5)の存否について判断する。

先ず、営業規則第二八九条第二項によれば、急行券を所持する旅客は、その乗車した急行列車が所定の着駅到着時刻に二時間以上遅延したときは、急行料金の金額の払い戻しを請求することができる旨を定めているところ、右規定は、急行列車が二時間以上延着した場合においては、旅客は、その原因が被告又はその履行補助者の責に帰すべき事由によるものであるか否かを問わず、一律急行料金相当額の払い戻しを請求しうることとする反面、仮に旅客がそれによつて急行料金相当額以上の損害を被つた場合においても、被告がその損害を賠償すべき義務を負うことはなく、また、急行列車の延着が二時間未満の場合においては、その延着の原因の如何を問わず、被告がそれによる債務不履行又は不法行為による責任等の財産上の一切の義務を負担することがない旨の、いわゆる免責約款の趣旨をも包含するものであることは、右規定の文言及び次に述べる右規定の趣旨に徴して明らかである。

そして、右規定の趣旨とするところは、急行列車が延着するという事態はしばしば発生しうるものであり、その原因が被告又はその履行補助者の責に帰すべき事由によるものであるか否かをその都度究明することは必ずしも容易なことではなく、他方、旅客が列車の延着によつて被る損害も、その身分、職業、旅行の目的等によつて多種多様であつて、非類型的であるため、その把握は簡易にはなしえず、どの程度の延着を以つて債務不履行となしうるかも一義的には決しえないところであるから、これら列車の延着をめぐつての紛議を民、商法等の定める一般原則によつて処理することとしたのでは、列車の延着の都度多数の旅客との間に大量の紛争を生じさせ、これによつて公共運輸機関たる被告の事業の合理的運営は著しく阻害され、ひいては運賃、料金等の高騰化を招くような事態に立ち至ることが予想されるところから、右のとおり、急行列車が二時間以上延着した場合においては、その原因や実損害の有無、程度等を問うことなく、一律に急行料金相当額を払い戻すこととし、それ以外の場合においては、公共運輸機関たる被告の事業の合理的運営とそれによつてもたらされる合理的な運賃、料金等によりこれを利用しうることの代償として、利用者において延着による損害を受忍すべきものとするものであると解され、なお十分な合理性を有するものであるということができる。

従つて、営業規則の右規定が原、被告間の本件運送契約に適用されるものである以上、原告は、その乗車した伊那二号が約一時間四〇分延着したこと自体を理由として、被告に対し、債務不履行若しくは不法行為による損害賠償を請求し、又は被告の収受した急行料金を不当利得として返還請求しうる限りではない。

四原告は、その乗車した伊那二号が延着したのは、国労及び動労が被告とのなれ合いの下に計画、実施した違法な同盟罷業及び怠業に起因するものであり、営業規則第二八九条第二項の規定は運送人又はその被用者の故意かつ違法の行為の結果列車が延着した場合にまで適用されるものではなく、仮に右規定が右のような場合にも適用されるものであるとすれば、同規定は民法第九〇条に違反し無効である旨を主張する。

もとより、前記のとおり一般的には合理性を有する営業規則の右規定も、その具体的適用によって公序良俗に反し、又は顕著に不合理な結果をもたらすことになる場合においては、その効力は否定されて然るべきであるし、その意味内容や適用範囲を確定するにあたつては、同様の考慮が必要である。

しかしながら、原告主張のように商法第七三九条の規定は陸上旅客運送契約にそのまま適用又は類推適用されるものではないし、営業規則の右規定が争議行為により列車が延着した場合にも適用されるものとすることには、それが被告とその被用者又は労働組合との間の完全ななれ合いに基づくものであり、被告の全くの恣意の結果であるような場合はともかく、そのような事情がない限り、そこに格別の不合理はなく、これを公序良俗に反するものとすべき理由はない。このことは、<証拠>にみるとおり、争議行為による第三者に対する債務不履行につき使用者の免責を定める、いわゆる「ストライキ約款」が貨物運送契約の普通取引約款等において採用され、また、その他取引社会において同様の約款が一般に有効に行われていることに鑑みても明らかである。そして、右争議行為が公共企業体等労働関係法第一七条第一項によつて一切の争議行為が禁止されている被告の職員又はその労働組合がなしたものであり、その目的が「スト権奪還」という法律の改正を目的とする政治ストに属し、二重の意味で違法なものであるとしても、右結論を異にするものではない。

そこで、原告が乗車した伊那二号が延着した原因についてみるに、先ず、国労及び動労が昭和四八年二月八日から一〇日までの間違法に同盟罷業及び怠業を実施したことは当事者間に争いがない。そして<証拠>によれば、国労及び動労は、総評及び公労協との統一行動として右期間にいわゆる「スト権奪還闘争」を行うことを計画し、二月八日午前零時から一〇日までの間は全国的な規模で減速運転等のいわゆる遵法闘争を実施したほか、同一〇日午前八時から正午までの間は全国の拠点において同盟罷業を実施し、これによつて被告の運行する列車ダイヤは全国的に混乱したことが認められる。

次に、<証拠>によれば、伊那二号が延着した原因は、主として対向列車、先行列車等の運行状況の如何による待機時間が多かつたことにあり、同列車の機関士等の乗務員が故意に右列車の運行を遅延させたことを認めるに足る証拠はないものの、いずれにしても、それが国労及び動労が実施した前記遵法闘争の直接、間接の影響によるものであることは、右に認定した事実からたやすく推認しうるところである。

なお、原告は、国労及び動労の右争議行為は被告とのなれ合いのもとに実施されたものである旨を主張し、<証拠>によれば、当時の新聞紙上に被告労使紛争に対する批判として原告主張のような内容の一般市民の投書等が掲載されたことが認められるが、右は単純な推測又は意見の域を出るものではないし、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

原告が乗車した伊那二号が延着したのは以上のような事情によるものであるから、そこには営業規則第二八九条第二項の規定の適用を除外しなければならないような特段の事情は認められない。従つて、営業規則の右規定が原、被告間の本件運送契約に適用されるべきものであることは明らかであり、そうである以上、原告の被告に対する、伊那二号の延着自体を理由とする債務不履行若しくは不法行為による損害賠償請求又は不当利得の返還請求は理由がなく、棄却さるべきものである。

五最後に、被告の被用者が原告に対し故意又は過失により伊那二号の運行が遅延して急行列車としての実質を有しなくなるべきことを告知しなかつたことを理由とする被告の不法行為による損害賠償義務(請求原因4)の存否について判断する。

既に認定したとおり、原告は、駒ケ根駅を四三分遅延して発車した伊那二号に乗車したものであり、同列車の駒ケ根・豊橋間の所定の所要時間は三時間五二分とされているところ、約四時間四七分を要して豊橋駅に到着したものである。そして<証拠>によれば、普通列車による駒ケ根・豊橋間の所要時間は列車によって五時間一五分のものから六時間九分のものまでがあつて、平均のそれは約五時間四〇分であることが認められ、所要時間についてみれば、原告主張のように、原告の乗車した伊那二号が普通列車の所要時間以上の時間を要したというわけのものではない。

そして、<証拠>によれば、国労及び動労が昭和四八年二月八日午前零時から全国的な規模で減速運転等のいわゆる遵法闘争を実施し、その影響により被告の運行する列車ダイヤが大幅に混乱することが予想されることは当日又は前日の各新聞紙上に大きく報道されていたこと、駒ケ根駅に勤務していた被告の被用者らは、同日午前九時八分頃から同一〇時九分頃までの間に同駅の放送設備を通じて再三にわたり一般旅客に対してその時々の伊那二号の遅延状況を案内したほか、乗車券発売口においても急行券を購入する旅客に対して同様の案内をしていたことが認められ、右認定に一部反する原告本人尋問の結果は採用することのできない。

原告が乗車券等を購入した前後の事情は以上のとおりであり、また、必ずしも伊那二号が急行列車としての実質を全く有しなくなったというわけのものでもなければ、被告の被用者らが右の時点で伊那二号が豊橋駅にどの程度延着することになるかを確実に予想しえたと認むべき事情もないのであるから、旅客に対するサービスのあり方としての当否はともかく、このような場合に、被告の被用者らにおいて放送設備等を通じて伊那二号の遅延状況をとりあえず一般的に案内すること以上のことをなすべき法律上の義務があるとは解しえない。

原告は、国労及び動労が当日遵法闘争を実施することを知らず、乗車券発売口において伊那二号が延着するであろうことにつき案内を受けたこともない旨を供述するのであるが、仮に原告についてたまたまそのような事情があつたとしても、右のとおり旅客が列車が延着する可能性があることにつき了知していると認めるべき一般的な事情が存在する以上、旅客が特に確認を求めたような場合を除き、多数の旅客を扱う乗車券発売口において、個々の旅客に対して列車が延着するかもしれないことを予め説明し、了解を得たうえで乗車券等を発売すべき義務があるとはなしえないところである。

以上のとおり、被告の被用者らにおいて原告に対して乗車券等を発売するにあたり特に義務違反があつたとなすべき事情は認められないから、原告の被告に対する、これを理由とする不法行為による損害賠償請求は理由がなく、棄却を免れない。

六よつて、原告の被告に対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (村上敬一)

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